大人のふりかえり、子供のふりかえり

何か終わった時、年度の終わりやプロジェクトの終わりに「"ふりかえり"をしよう!」みたいなイベント、ままありますよね。何か失敗した時なんかは特に。

そこで「ふりかえり」という言葉によって、過去を「ふりかえ」ればいい、と印象や感想で「ふりかえり」が実施されたりしていませんか?

「過ちを気に病むことはない。 ただ認めて、次の糧にすればいい。 それが、大人の特権だ。」
と、ある偉い人は言っていました。

気質なのか、何に起因するのかわかりませんが、つい「失敗」と「ふりかえり」という言葉によって過去の粗を探したりしてしまう。原因をつい探してしまう。みたいなことありますよね。

そこで考えて欲しいところなのですが、
その年度やプロジェクトの始まりの時に、計画は立てたでしょうか?
また、失敗の確率はどの程度でしたでしょうか?
その「失敗」というのは本当はある程度想定されていた結果の一つではありませんでしたか?

「ふりかえり」で必要なのは、そのチームにおいて失敗したことを次に失敗しないように成長を得るため、があると思います。

結果が望む形ではなかったからといって、何も悪かったというわけではないと思うんです。
計画したことが 順風満帆にうまくいくことなんてそうありません。
失敗することの方が多いくらいです。
未来がわかるわけないんですから。
なので「ふりかえり」というのは、次の成功の為にチームが成長する場にした方が幸せだと思うのです。
想定通りでない部分があれば捨てる、想定通りの部分があれば残す。
そういうように、目的に合わせて手段を修正していき、知識と経験をためて成長する。
ということが次に繋がる大人の「ふりかえり」だと思うのです。

「悪い」という結果、印象に左右されずに、大人の「ふりかえり」ができるよう気をつけていきたいですね。

おまけ
想定どおりに進んだこと、良かったことをしこたま出し切ってから、想定外だったことを話し始める。というのもいいかもしれませんね。