課題を考えるチームより理想を考えるチームが成果に近い。

序章

チームで活動していると、振り返りとか課題提起とかよくやると思うのだけれど、
「○○を改善しよう。」とか「xxがよくなかった。」とか「じゃあ次回△△しよう。」とか、
そういったコミュニケーションとってますよね。
KPTなんかもよく使われてたり。
それが如何によくないか、という話をしたい。

それって本当によくないことなの?

「問題を出し合おう。」
と言って出てきた考えに対応を苦慮したことはないだろうか?

それは今やるべきことなのか?
優先順はあっている?
最悪なことに本当は必要なことだったりしないか?
実は勝手にそう思っているだけではないか?
そういう課題ではなく別の課題の話をしたい。

とかいう話。

そこで事前にやっておくべきは
「チームとしてどうありたいのか。最適な状態は?」
とちゃんと理想を考えておく必要がある。

「どうありたいか」に対して無駄なことであれば課題であるわけだけれど、
そうでなければ今考える必要はない事柄なわけです。

それをないがしろにして「悪いよね」「改善したいよね」とか話をするから、
方向性が常にバラバラになりがちになり。
振り返りなどで改善の実感を感じられなくなる。

その改善方法であっているの?

「課題は見つかった。じゃあ改善方法を出し合おう。」
ってなったときに、また注意しなければいけないことがある。

その改善方法であっているのか。
課題の改善方法は様々である。
ある特定の期間や人、プロセスなど改善方法によって効果の現れ方が千差万別である。

これまた、
そこで事前にやっておくべきは
「チームとしてどうありたいのか。最適な状態は?」
とちゃんと理想を考えておく必要がある。

「どうありたいか」に対して因果関係がある改善方法が選ばれるわけで、
手当たりしだいに対応してはやはり無駄。

チームで同じ方向を向けているか?

(かなりそもそもな話…。
日々チームで行動しているわけだけれども、
理想はすりあっているだろうか価値観は認めあえているだろうか。
このような点がすり合っていないと、
互いにモチベーションのギャップが生まれチームワークにも溝が生まれていく。

これまた、
そこで事前にやっておくべきは
「チームとしてどうありたいのか。最適な状態は?」
とちゃんと理想を考えて互いに認識しておく必要がある。

もしすり合わなかったり、許容しあえなかったら、
早めにチームをビルドし直す方がよいだろう。

振り返り

最近ネガティブワードで話をする人が目について、結局何をしたいのか、
何を理想としているのかわからないな。と思った。

課題だけで語らず、理想をもって課題を語ることの方が、
何が必要で何が無駄なのかをちゃんと考えられるようになるだろうし、
仲間もちゃんと集められると思う。

おまけ

KPTの乱用をするな。
TODOフレームワークじゃない。